テクノの夜
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年末進行の隙を突いてロフトプラスワンにお邪魔してきました。
イベントの概要はこちら。
http://d.hatena.ne.jp/snakefinger/20091129/p1
以下、すごい長いよ。

*

シンセサイザーが異常に好きな子供だった。
なにしろ生まれて初めて自分で買った楽器が、ヤマハのCS5である。
中坊んとき。貯めてた小遣い全部はたいた。
http://yamaha.jp/product/keyboards/synthesizers/cs5/
仕様を参照して頂ければお判りの通り、同時発音数は「1」。
泣く子も黙るモノシンセだ。
21世紀少年には想像もつかないかもしれない、和音の出ない鍵盤楽器なのである。

電子楽器の歴史については、ここで私が語ることではないので省く。
要はとにかくシンセの音色と「自分で音が作れる」というスペックに、
なんだか洗脳された少年だったのである。
その入口はYMOより古い。
たぶん兄貴が聴かせてくれた冨田勲『月の光』がファーストインプレッションだ。
だから8日夜、ステージからドビュッシーのアラベスクが流れて来たときは
背筋がぞくぞくした。

YMOの電子頭脳として名高いプログラマー、
松武秀樹氏は冨田勲のお弟子さんである。

一方、1980年代の私が最も嵌っていたアーティストはムーンライダーズだった。
86年の10周年記念ライブを記録したビデオ、
The Worst Visualizerの冒頭に観客のひとりとして映り込んでるくらいだ。
そして当時の彼らの電子頭脳こそが、のちのハンマー代表森達彦氏なのだった。
このあたりの経緯は先に紹介した田中雄二氏の文章を参照されたい。

で。
実は私、
くだんの田中さんとそれこそ80年代に同じ職場でちょくちょく顔を合わせておりましてん。
私が駆け出しのイラスト描きやライターとして出入りしてた編集プロダクションで、
彼は編集さんだったのだ。
仕事の記憶はさっぱりないが、
アニメやゲーム専門の職場でライダーズやXTCの話を熱っぽく語っていた姿は、
今でもありありと思い出せる。
その頃人力プレイを怠けてたライダーズに対し、
私が「ライブでの演奏がへたい」と片付けてしまった際にちょっとムッとしてたのも。

トニー・マンスフィールドが在籍してたNEW MUZICの名は、
あの頃彼に教わったのだ。
後で苦労してCD探したもんです。

その後私がかりそめの就職をし、プロダクションから足が遠のいて、
やがていつの頃からか、
趣味で買い漁るテクノ関係書籍やCDに田中雄二の名前を見るようになった。
その豊潤な知識を駆使しツボを押さえたライナーや解説類は、
対象をリスペクトする余り単なる提灯持ちに終わりがちな同類とは一線を画した、
読み応えのあるものに仕上がっていた。
彼の大著『電子音楽 in Japan』を手にしたとき、
やったなあ、いや、やってくれたなあと意味のわからない感慨を覚えたのが忘れられない。
電子音楽に些かなりとも興味のある人は、絶対に損のない一冊です。

ほら、俺はこんな提灯持ちみたいなことしか書けない。

とまれ、そんな3人のオンステージだ。私が見に行かない法はない。
ああ前置きからしてこんなに長いよ。

*

まず客入れVがライダーズ『DREAM MATERIALIZER』。
(訂正。商品でなく店頭PR用のVだと田中さんから教えて頂きました)
続いてまりん砂原良徳優勝で名高い、伝説の『カルトQ・YMO編』。
見逃してたのでこれ幸いと一緒に考えてみたが、半分も正解できなかった。
ダメダメじゃん俺。
マルティプライズのTHE ALTERN 8リミックスとか忘れてるってば、もう。

さて、いざ開演。

第1部「シンセサイザー・プログラマーの誕生」。
田中氏の記事中にあるチャート図に加え、
豊富な秘蔵音源を次々に披露しつつご両所のあゆみをわかりやすく紹介する内容。
平幹二朗と加納典明を足して二で割ったような、
松武さんの駄洒落交じりのボケが笑いを誘う。
森さんは人前で喋るのは初めてとのことで最初は口数も少なかったものの、
次第に風貌とあいまった飄々としたボケ(時折は身もフタもない)をかまし始め、
再三松武さんに突っ込まれてました。

しかし日本テレビ『驚異の世界』テーマ曲が松武WORKSとは知らなんだ。
思わず後でCD買いましたよ。
iTunesデータベースは「脅威の世界」になってたけど。
LOOMの数年前に早くも無限音階を音源化していたという事実も凄い。
サンプラーの存在しない時代に、犬の鳴き声でメロディ作ってみたり。
もちろん全部自分で録音。
そして師匠のトミタさんは「オレの音はオレのもの」つって、
作業終了時には毎日パッチ抜いてリセットしちゃってたそうで。
補足すると初期のシンセには音色メモリなんて気の利いた機能はありませんでした。
CS5にもツマミの位置をメモしておくシートが付録に付いてたっけ。

でも、夜間は日本に一台の高価なモジュールを弟子に好きに使わせてくれたのですね、
冨田師匠。
そう思うと日本の電子音楽のお父さんなんだな、本当に。

機材の話は感涙もの。
MC-81台の値段でカローラが2台買えたとか。
坂本教授は今でもプロフェット5使うてはるげな。
「名前がいいよね。予言者だもん。俺も予言者になりたいよ」(松武さん)
YMO『浮気なぼくら』で使われたというのを読んで憧れだったリン・ドラムが、
むやみに大きくて重かったと初めて知りました。

*

第2部「YMO vs.ムーンライダーズの時代」
「半分寝てるよね」(松武さん談)の鈴木慶一ビデオレター登場。
なんだかふがふがしたはりました、慶一さん。
ふがふがと8分オーバーのメッセージ。

続いてマニア垂涎、両グループのレアトラックとエピソード披露。
教授がいなかったためにワンコードの曲になったという話が興味深い。
ライダーズの録音で河口湖スタジオで富士山に向けて鳴らしてエコー拾ったとか。
「エコーなんか返って来ないけど、大事なのは精神だから」(森さん)
後にピラニアンズがまんま『富士山リバーブ』ってアルバム出してますね、そういや。

個人的に「BGMが出たときなんだかガッカリして一度売ってしまった。後で好きになったけど」
って田中氏の話が面白かった。
当時同じような思いを抱いたファンは多かったはず。
でも、なぜかソリッド・ステイト・サヴァイヴァーをスルーしてた私には、
BGMが最初のYMO体験だったですじゃ。ほいで次がパブリック・プレッシャー。
千のナイフも疾走感あふれるBGM Ver.が先だったんで、
後でオリジナルの方聴いて「なんだかもたついてんなあ」と思ったり。
MUSIC PLANSとか今でも大好きです。

松武さんがYMOのステージで使ってたMC-8が1曲のデータのロードに5~6分かかってて。
だからライブでシーケンサー同期と人力演奏がかわりばんこに並んでたってのは、
割と有名な話なんだけど、やっぱり当事者の口から聞くとリアリティが違う。
ユキヒロが「もうデータ大丈夫?」とアイコンタクト取りながら叩いてたり、
間をもたせるために渡辺香津美ソロがむやみやたらと長くなったり。
当時私は「カズミはジャズ畑だから長いソロが好きなんだ」と、
イノセントに思い込んでましたよ。
実際、カズミバンドのライブ行ったら1曲15分とかザラだったしさ。

ライブの最中に演奏ストップして「これが、テクノだ」と宣言したのは平沢進だが、
ましてや草創期の話である。
どんなトラブルが起きるか分かったものではない。

「そういうときは15センチ上から落とすと直るんですよ」(森さん)
叩いたら映るテレビ並ですぞ、シーケンサー。

*

第3部「テクノ歌謡の時代」
松武さん森さんが、
それぞれに培ったノウハウを歌謡曲やロックの世界で惜しげもなく発揮してたという歴史を、
これまた豊富なサンプルで辿るの巻。

いまさら語るまでもなく、
80年代は歌謡曲がロック/ニューミッジックとボーダレスになっていった時代。
YMOやライダーズの面々も数多くの歌謡曲を手掛けアイドルをプロデュースし、
うちらは躍起になってその足跡を追っかけていたもんです。
郷ひろみやら藤真利子のアルバムやら買いましたよ、当時。
同様に松武さんや森さんも頭脳流出的な形で、
電子化が当たり前になっていったサウンドビジネスの基幹を支えてたって次第でした。

プログラマー毎に担当楽曲を紹介されると音の個性が際立つ。
前述の私の"シンセは音を作れる楽器"という定義が見事に実現されているさまは、
感慨深いものがありました。

と同時に、ああそうだったんだと納得のゆく部分も多し。
大沢誉志幸「そして僕は途方に暮れる」イントロが松武さんの仕事だったとか。
西条秀樹「傷だらけのローラ」のオケもそうだったとは思いもよらなかったけど。

おおざっぱな印象を言えば、松武さんの音はタイトなリズムに加えてキリッと電子的で、
森さんのそれはキラキラと煌びやかであるように思えた。
「森くんの仕事は女性アーティストが多いんだよね。俺、男ばっかり」という松武さんのボヤキも、
なんとなく判るような気がする。
森さん自身は「僕の音はくぐもってると思うんだけど」と仰せでしたが。
確かにライダーズの仕事だとやや重ためで分厚い音が聴ける。
でも、これを松武さんがやるとまた全然違うんだと思う。

もっとも、羨ましがられた森さんの方は
「どうせアイドルは来ないよ、スタジオ」と言うてはりました。
当時歌謡曲は1日で1曲完パケというスケジュールが多く、
しかも出来上がってみたら聞いてたのと違う人が歌ってたというケースもあったとかで。
録音の段階では歌詞ないから仮歌はぜんぶラララのスキャット状態だし。
苦労がしのばれることだよ。

にしても先駆者である松武さんの足跡は大きく、
わずか数年とはいえ遅れて業界入りした森さんは
アレンジャーに「松武さんの音」を要求されることが多かったという。
しかし松武さんが行けなくて代わりに森さんが手がけた渡辺美里「My Revolution」は、
ご承知のように日本の音楽史に残る作品となった。
松武さんも「名曲!」と太鼓判押してた。

私も手元にあるような矢野顕子・シナロケ・スーザンあたりのトラックから、
森さんの手がけたおニャン子くらぶの仮歌入りデモに至るまで、
オフレコ話をふんだんに交えて駆け足ながらも濃密な時間でしたよ。
その辺、ひそかに田中氏の司会に舌を巻いておりました。
話題があっちこっちに飛ぶトークイベントをきっちり時間通りに進行するって、
ほんと大変なのよ。

*

第4部「未来予測!音楽業界のこれから」
スペシャル・ライヴ「ロジック・システム」「BARGAINS+u.l.tスペシャルバンド」

ご両所の近況にライブを交えての構成。
まずは森さんが復活させたハンマーレーベルのアーティスト、
BARGAINS+u.l.tのスペシャルユニットによる演奏。
「普段は牧歌的なライブやってるんですけど」(BARGAINS三宅さん談)な、
ポップなBARGAINSのメロディに、
u.l.tの端正なシンセトラックとキーボードプレイが絡んでゆく。
伸びやかなBARGAINS田島さんの声質もあって、
往年のYazooやイレイジャーを彷彿とさせる、
正しい"テクノ・ポップ"を体現しておりました。
21世紀のテクノ歌謡のひとつのありようと解釈していいんでしょうね、これは。
2曲目の「花園」がとても好きでした私。
このユニットで音源化して欲しいな。

そして大トリは松武秀樹LOGIC SYSTEMの登場ですよ。
いや松武さん自身はずっと登場してるんだけど。
1981年発表の1st『Logic』からの楽曲を中心としたノンストップメドレー。
高い音圧とハンマービートでダイナミックに再現されるDomino DanceやXY?に大喜びの俺。
ほぼ30年前のナンバーなのに、ちっとも懐メロに聞こえないところが凄い。
ラストは圧巻のブリッジ・オーヴァー・トラブルド・ミュージック~MAD PIERROT。
特に前者が嬉しくて仕方ない私はスキマの住人です。
格好よすぎて死ぬかと思った。

「いい音楽を作っていきたいですね、テクノに限らず」
松武さんの言葉の説得力のあることと言ったら。

*

3度の休憩を挟んだ3時間半のイベント、微塵も長さを感じさせませんでした。
この内容なら5時間でも10時間でもいけるよ俺。
そういう意味で自分の属性を再認識した夕べでもあった。
普段あまり堪え症ないもんで。
でもテクノは別腹でしたね。

ライブ終了後、田中氏にご挨拶。
実に二十数年ぶりの再会だったけど、シャイな雰囲気はぜんぜん変わってなかった。

そ。テクノ少年は東京SHYNESS BOYなのですよ。基本。
【2009/12/10 16:06】 | 未分類 | page top↑
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