オタクの濃度
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オタクであることを恥ずかしいと思わないという主張を聞き、
素なのか開き直りなのかどっちだろうとしばし考える。
いずれにせよ、
そのようなアピールをする以上はマイノリティの自覚はあるのだろう。

「虫垂だの農家の四男坊なんてのは、
やたらに切っちまっていいもんじゃないだろう」はB.J.の言葉である。
少数派だからといって黙殺されていい訳じゃないし、
数が少ないなりの矜持もあろう。

ただし被虐意識の裏返しとなると話は別だ。
マイノリティの開き直りの行きつく先は、選民思想である。

だいぶ前にTVでオタク選手権的な企画を放映した際、
ゲストに招かれたとあるオタク系文化人が
「薄くて薄くて話にならない」と(オフレコで)感想を述べた話があった。

私たちは非常にしばしば、
自分たちの「濃い話」に付いて来れない連中を侮るオタクに出会う。
自称事情通にとって情報収集能力は生命線であるから、
知識の濃度はそのままヒエラルキーに比例するわけだ。

確かに情報を共有している者同士の話はものすごく楽しい。
重箱の隅的なネタが解説の必要なしに通じるのは快感であるよ。

けれどその偏った知識が、
知らない者たちを見下すための道具に使われるとなると、
これはもう困ったもんだとしか言いようがない。

だってもっと「薄い」一般の人たちから見れば、
濃度が高くなればなるほど気持ちが悪いんですよ。
井の中の蛙どころか、
隣の部室に行ったら通用しないレベルの選民意識を鼻にかけるって、
相当にみっともなくないですか?


オタであるという自覚を持ち、
そのことがちょっとくらいは恥ずかしいと思ってる人が好きです、私。

そりゃ、要らざる軽蔑を受けた際は逆襲してもいいけどさ。
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【2009/10/11 04:13】 | 未分類 | page top↑
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