
例によって今更『ラーゼフォン』を借りてきて観ている。
放映当初から判りづらいとの声があったが、
それはむしろ物語世界をきっちり作り込み過ぎたためだろう。
思わせぶりに謎かけしておいて実は何も考えてないのとは違う。
1stガンダムですらリアルタイムでは難解だと言われていた。
今でこそ宇宙世紀の概念は周知のものとして視聴者に受け容れられ、
モビルスーツだのニュータイプだの赤い彗星だのは、
史実よろしく基礎知識として社会に浸透している。
しかし1979年当時、そんなものは富野喜幸のアタマの中にしかなかった。
未知の世界観は人にそれを理解する努力を要求する。
相手は土曜夕方にハナクソほじりながらテレビ観てるような手合いだ。
「何の話か全然わかんない」とか言われても仕方はない。
ガンダムの視聴率は当然のように低迷し、結果的に打ち切りとなった。
ただ一部のマジメに観ていた連中がその世界に魅了され、
アニメ史上もっとも重要な作品のひとつに数えられるに至ったのである。
ラーゼフォンの世界設定は非常にしっかりしたものだ。
ただしそれらが劇中で言葉で説明されることは少ない。
「21世紀の初め、日本の首都・東京は外部侵入者の『MU(ムウ)』により、
その全体を半球(東京ジュピター)状の物によって外部から隔離されてしまった」
(ウィキペディアより引用)
そんな基本設定すら明確にアナウンスされないのは、
確かに受け取り方によっては不親切であり、
本作が難解と評される一因であるとも言えよう。
が、何しろストーリーはきちんと組み立てられているので、
マジメに観ていればそのうち薄々判ってくる。
っていうかいちいち説明してたら却って煩雑だ。
要はマジメに観ることを要求している創作物なのである。
ボンズの作画は4年を経た今見てもおよそ非の打ち所がない。
絵としてはずば抜けて美しいが表情に乏しく動かしづらい山田章博のキャラを、
驚くべき技術で見事に動画に仕立て上げている。
(十二国記はこの点で苦戦を強いられてしまったと私は思う)。
美麗な映像のバックに流れる橋本一子の音楽は静かで格調高く、
アニメの劇伴としては物足りないほどに洗練されたものだ。
要所要所に内海賢二や中田譲治、大塚周夫といったベテランを配した声優陣もいい。
と、ベタボメしておいた上でやっぱり私が引っかかってしまうのは、
「エヴァを知らずに観たかった」という、
気にしなければ些細だがけっこう重要な一点なのだった。
大昔ブライアン・デ・パルマの『殺しのドレス』という映画を観て、
粘着質だけど面白い映画だなあ、と思った。
その後しばらくしてヒッチコックの『サイコ』を観て、
何ともいえない気分になった。
両方観た人はご存知だろう。
『殺しのドレス』は『サイコ』の20年後の焼き直しなのである。
リメイクではなく同工異曲のたぐいだ。
これらをまったく予備知識のないまま逆順で観てしまったために、
どっちがタマゴでどっちがニワトリなのか意識が混乱を起こしてしまった。
もちろんアタマでは白黒映像のサイコの方が古いのは判る。
先に作られたはずのものなのに既視感があるというのは何とも居心地が悪い。
同時に面白かったはずの殺しのドレスに対する評価も、
いまいち微妙になってしまった。
その時に思った。
『殺しのドレス』だけを面白く観て、
『サイコ』は知らなかった方が幸せだったかもしれない、と。
ラーゼフォンが近年稀にみるクオリティの高いアニメ作品なのは確かだ。
にも関わらず、
随所に落ちたエヴァンゲリオンの影がどうしても目に付いてしまう。
亡霊もしくは呪縛と言ってもいい。
気づいたら主人公がヒロインのおっぱいに手ついてるシーンとか、
ちょっとなあ。
あるいは本家庵野秀明の得意技である引用なのか。
引用をリスペクトしてどうする。
野暮を承知の上で比較論をやらかすと、
作品としての純粋な完成度はおそらくラーゼフォンの方が高い。
エヴァの最大の特徴であり欠点でもある「投げっぱなし」がないからである。
思わせぶりな演出もあることは否めないが、
それらは伏線としてほぼちゃんと回収されている。
ただ、どちらがより面白いかといえば、
個人的にはやはりエヴァの方に軍配を上げてしまう。
人物の存在感が圧倒的にリアルだからだ。
なればこそ手に負えないストーリーと関係なく、
放映中から絶大な支持を得ることができたのだと考える。
これは先に述べたように、
貞本義行と山田章博というキャラクターデザイナーの質の違いでもあるし、
それ以前に脚本や演出の部分の問題でもある。
ベタなもの下世話なものを廃し過ぎた結果、
ラーゼフォンの人物像は少々生硬なままで立ち切れていないのだ。
もっともこれは私見に過ぎない。
庵野秀明の描く少年少女の過剰な生々しさに拒否感を覚える向きもあろう。
ラーゼフォンの登場人物はあくまでノーブルで美しい。
総じて非常にすぐれたアニメーション作品なのだ。
エヴァさえ観ていなければ。
もしくはその影響下にあることに気づかずに済めば。
それでもエヴァが存在しなければ、
ラーゼフォンもまた存在し得なかっただろう。
もろに焼き直しであるサイコ&殺しのドレスと単純に比較するのもまた無粋だが、
今回はちゃんと製作順で観たことになる。
歴史的にはむろんこの方が正しい。
そして歴史をさらに下ってみたとき、
ラーゼフォンで手応えを得たボンズはこの後、
ウルフズレインや鋼の錬金術師やKURAU、エウレカセブンといった、
一連の硬質かつ骨太な作品群を生み出してゆくことになるのだ。
硬質じゃないけど桜蘭高校ホスト部もな。
そう思うと2002年度の放映作品を今更ほじくり返して語る意味もあろうというものだ。
少なくとも21世紀のアニメ史のひとつの里程標として、
ラーゼフォンが他と一線を画する作品であることは間違いない。
その証拠にDVDが貸出中で続きが観られん。
誰だ俺の他に今頃借りてる物好きは。
ぷんすか。
っていうか要するに全部見終わる前に書いてんだよなこれ。
それってどうなのよ。
実はちょっとした修羅場の気分転換でした。
ほんとすみません。