ぼくらの時代への追想
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最初に読んだのは『ぼくら』シリーズだった。
「ぼく=栗本薫」の一人称で語られるこの探偵小説は、
ミステリというより庄司薫のそれを思わせる青春ものだった。
謎解きをしながら本を読む癖のない私は事件の真相に本気で驚き、
胸を痛めた記憶がある。

今読むときっと青臭くて仕方がないのかもしれない。
しかしそんな瑞々しさを共有できるのは、
おそらくは書くのも読むのも一生のうちのごく短いあいだのことだ。
その須臾の出会いを持てた私は幸せだったと思う。

グイン・サーガの30巻ぐらいで追走を止めて以来、近作は読んでいない。
それでも書店に行けば、
定期的にハヤカワ文庫のあの表紙が平積みになっているのを見ることができた。
その風景は私にとって消息の確認であった。

受け手としての私たちは、生涯のうちにさまざまな送り手の作品に触れる。
だが、出会って後ずっと一緒に走り続けることはまれだ。
多くは点状の交差でしかない。
時折はしばらく追いかけてみるが、たいがいはどこかで手を放してしまう。

そして歳月を経て訃報に接したとき、
その作品と共にあった頃のことを回想し、悼む。
だから追悼の感情は人それぞれに異なる。
時にはだれかの不用意な言葉に対し、
お前なんか何もわかっちゃいない癖にと敵意すら抱く。

けれど自分だけが真実を知っていると思い込むことは傲慢だし、
勘違いに過ぎない。
私たちは皆、その人と関わりを持ったという一点において同じなのだ。

「自分が好きだった人を、他の人が偲んでくれてるのは嬉しい」
かつて共通の友人を喪った友達の素直な言葉である。
私もそのように思える度量を持ちたい。

*

栗本さんには麻雀大会でお会いしたことがある。
正確にはお見かけしたと言うべきか。
終了間際の順位決定戦。
レポートを書くために各卓の写真を撮っていて、
栗本さんが座っていたのは残念ながら最下位争いのテーブルだった。

会場中央では決勝卓を囲んだ大勢の取材陣からどよめきが漏れている。
そんな熱気を横目に女史はにこにこと牌を握っておられた。
一礼してカメラを向けたら、
「こんなビリっけつの卓でも撮ってもらえるのね」と、
あの目尻を下げて笑った。

30年以上の長きにわたり、
エンターテインメイントの第一線を走り続けた彼女に黙祷を。
どうかゆっくりお休みください。
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【2009/05/28 17:23】 | 未分類 | page top↑
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