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非現実の王国にて
081109.jpg
ジョン・M・マグレガー『ヘンリー・ダーガー 非現実の王国で』
(小出由紀子訳:作品社)を借りて読む。

ご存じない人のために簡単に説明すると、
ヘンリー・ダーガーというのは一風変わった創作者である。
1973年に没するまでの81年の生涯の殆どをたったひとりで過ごし、
その間アパートの一室で膨大な量の物語と絵を紡ぎ続けた。
誰に見せるわけでもない、自分自身のための創作活動である。
その孤独な魂の記録は、
72年に救貧院送りになった際、彼の部屋に足を踏み入れた大家によって見出された。
自身もアーティストであった家主ネイサン・ラーナーは、
ダーガーの"手すさび"に非凡なものを感じて世に送り出したのである。

うっかり孤独な魂の記録等とありがちな表現をしてしまったが、
実物はそんな生易しいものではない。

普通の人間が作るものは、なんだかんだで第三者の目を意識しているものだ。
芥川龍之介の死の直前に綴られた自伝的独白『或阿呆の一生』ですら、
彼一流のポーズを崩すには至っていない。

が、引きこもりの元祖とも言える世捨て人同然のダーガーの生活に、
他人の視線というファクターはまったく介在しない。
彼はただ自身の欲望のおもむくままに、溢れ出る妄想をひたすらに記録していったのだ。

物語は7人のヴィヴィアンガールズと呼ばれる少女たちを主人公に展開する。
彼女たちは敵対勢力によって幾度となく危機に陥るが、
そのたびに奇跡的に脱出し最後には勝利を収める。
これを予定調和だと早合点する人は、
実際の彼の作品に触れて途方もない不安に襲われるだろう。

お話自体は(時に造語をまじえた)英語なので、
直に読むには相応の語学力が必要だ。
それ以前にこの15000枚以上に及ぶテキストは、
あまりの膨大さゆえに全文が刊行されたことがないし読破した人もいない。
ただ、挿画の方は誰でも問題なく鑑賞することができる。

ぱっと見は子どもの本の挿絵のようだ。
柔らかい主線に淡い水彩の着色が優しい。
そして曖昧な筆致で描き出された少女たちは、
可愛らしいドレスの下の未発達の肢体に、なぜか少年の男性器を備えている。

理由はわからない。
「女性の身体を知らなかったから」と考えた人もいるようだが、
アーティスト自身に尋ねる術のない現在、我々にできるのは憶測だけだ。

また他の少女たちのあるものは長大な尻尾を生やし、あるものは山羊の角を持つ。
彼女たちは妖精のように戯れていたかと思えば、
別の絵の中では身体を切り刻まれ腹を裂かれて内臓を引きずり出され、
目を閉じあるいは白眼を剥いた姿で地面に累々と並べられている。

だが、トレスを含めた生気のない線で淡々と描かれるこれらの画題に生々しさはない。
暗い情念のようなものも感じられない。
惨たらしい筈の死体は壁に埋め込まれ、
少女たちの駆け抜ける野原にオブジェのように黙って屹立している。
時にシンメトリカルな装飾的ともいえる画面構成の中に軽やかに踊るのは、
奔放で無邪気な畸形のイメージばかりである。

理性の仮面を取り去った人間の識閾下を垣間見ることは、
文明人にとっては禁忌に他ならない。
彼の純真な筆捌きは、だから見る者の心に不安を生む。

ダーガー自身が「非現実の王国 the Realms of the Unreal」と名付けたその世界は、
たいへん静かな悪夢のように思える。

キリコやルドン、ゴヤをはじめ、美術史上に悪夢を具現化した巨匠は少なくない。
その中でひとり完全に自分自身のためだけに妄想を形にし、
閉じた王国の造物主として君臨し生涯を終えたヘンリー・ダーガーは、
異質ながらも本物の創作者としてあえかな光を放っている。

ごく個人的な印象を言えば、
ダーガーの世界はやはり隠者めいた生活の中で宇宙神話を作り上げた幻想小説家、
ラヴクラフトのそれにどこか通じるものがあるような気がした。

あれだ。
私もちったあじっと引きこもった方がいいのかもしれんね。

そんな結論でいいのか。
【2008/11/09 03:16】 | 未分類 | page top↑
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