日曜日は安息の日
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先日、G.K.チェスタトン『木曜日だった男』(南條竹則訳・光文社古典新訳文庫)を読了した。

チェスタトンについて冷静に語るのは難しい。
およそ百年前のロンドンに生きたこの拗ね者の文筆家は、
もう20年以上、常に私の崇敬の対象であり続けているからである。

大学時代、イギリス小説の試験でグレアム・グリーンについて書けという課題が出た。
講義をサボっていたためグリーンを知らなかった不遜な私は、
まったく関係のないチェスタトンに関する論文を用紙の両面に亘って滔々と書き連ねたものである。
そのようなレポートにマルをくれた先生も相当だが、
狷介で知られた彼を動かす程度にはチェスタトン愛に溢れた文面であったに違いない。

チェスタトンは私の人生の師匠なのだ。
ホリイ博士風に表現するならば、
「チェスタトンに必要なことはすべて人生から学んだ。あ。逆だ」である。
ものの見方や捉え方の基本というものを十代の私に叩き込んでくれたのは、
ブラウン神父や詩人ガブリエル・ゲイル、ポンド氏をはじめとする、
彼の小説の登場人物たちだった。

一般的に探偵小説として知られているものをそういう読み方をする子供も妙だが、
読めてしまったものは仕方ない。
ことほど左様にチェスタトンの著作は彼自身の強固な思想と哲学に彩られているのだ。

ただ、そんな大好きなチェスタトンを人に薦めたことは殆ど、ない。
はっきり言って読みづらいからである。
文章構成や修辞法がむやみと晦渋なのだ。
そのややこしい言い回しや表現も含めて楽しむつもりでなければ、
他人に言われて読んだところで数ページで挫折するのが目に見えている。

だからといってこれを平易な訳文に直してしまうと、
今度は単なるつまらない小理屈の羅列に堕してしまう。
いたずらに難解である必要はないが、
なんでもかんでも分かり易ければ良いというものではない。
枕草子の冒頭を、
「春はなんつっても夜明け。だんだん白っぽくなる山がちょっと明るくなったりして、
紫っぽい雲が細くただよっちゃったりして」
と書き下したら確かに分かり易かろうが、
文学作品としてはまあ別ものだろう。

*

"THE MAN WHO WAS THURSDAY"の邦訳はこれが最初ではない。
入手しやすいものとしては1960年初版の創元推理文庫『木曜の男』(吉田健一訳)が、
現在も版を重ねており、私の書棚にも並んでいる。
これが南條竹則の訳で光文社古典新訳文庫に収められていることを、
とある先生に教えて頂いたのはつい最近のことだ。

この近年流行の古典新訳というやつが、実は苦手だ。
新訳というからには読みやすい現代語訳であるはずなのだが、
私が手に取った数冊はいずれも、
「すみませんが小学校から国語の勉強し直して下さい」的な、
稚拙な文章のオンパレードだった。

難しい言葉を使わないのとへたくそな日本語とは違います。

そんで訳者の肩書きを見ると、
これが大学教授だったりして相当にげっそりしたものだ。
ニッポンの教育はどうなっておるのか。ギギギ。

実際、チェスタトンの新訳は集英社文庫版でちょっと懲りている。
滅多な訳者の仕事では買い直す気はなかった。

しかし南條竹則となれば話は別だ。
好著『ドリトル先生の英国』(文春新書)を書いた人ではないか。
さらに同じくドリトル先生シリーズ幻のスピンオフ作品、
『ガブガブの本』(ロフティング著・国書刊行会)の翻訳者でもある。

うむ。ドリトル先生を好きな人なら大丈夫。
安心して任せられる。

一見根拠のない納得の仕方だが、そうではない。
少なくとも私との共通点が多い分、
共感を覚える確率も高いはずだという意外と論理的な判断である。
ガブガブの本を読んだ限りでは翻訳者としての腕も確かだし。

期待は裏切られなかった。
訳文は安易に"現代の読者"に媚びることなく、
チェスタトンの風味を損なわないきわめて格調高い文体で統一されている。
決して分かりやすいとは言えない点まで忠実に再現されてしまっているのだが、
でも、それでいいと思う。チェスタトンに関しては。
特にこの非常に散文詩的な小説に関しては。

内容について詳しく触れることは避けたい。
追跡と逃亡、逆転に解決という探偵小説の各要素が、
乱歩のいう「形而上のミステリ」を縦糸として織りなされてゆくダイナミックな構成は、
20世紀に書かれた長編ミステリ中の白眉であり、同時に異端である。

新訳で改めて読み返して、
幕引きの印象が後年の作である『詩人と狂人たち』に非常に近いことに気づいた。
主人公のファーストネームが同じだという理由だけではなく。
大天使の名前をもつ詩人たちは、日常から途方もない非日常へふらりと旅に出て、
そしていつか安息の場所に戻ってくるのだ。

そう、日曜日はいつでも安息の曜日なのだから。
【2008/10/27 20:51】 | 未分類 | page top↑
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