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漱石と白髪
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「自分が二十の時、三十の人を見れば大変に懸隔がある様に思いながら、何時か三十が来ると、二十の昔と同じ気分な事が分ったり、わが三十の時、四十の人に接すると、非常な差違を認めながら、四十に達して三十の過去を振り返れば、依然として同じ性情に活きつつある自己を悟ったりする」
(『思い出す事など』)

夏目漱石がスティーブンソンの Virginibus Puerisque に書かれた内容、
「人はいくら年を取っても、少年の時と同じような性情を失わないものだ」
について首肯する場面である。

しかし、この宝島やジキル&ハイドの作者が少年の心のまま44歳で早世したのに対し、
大病を患った晩年の漱石はなおもこう続ける。

「スチーヴンソンの言葉を尤と受けて、今日まで世を経た様なものの、外部から萌して来る老頽の徴候を、幾茎かの白髪に認めて、健康の常時とは心意の趣を異にする病裡の鏡に臨んだ刹那の感情には、若い影はさらに射さなかったからである」
(同上)

現実を前にして心に少年の仮面を被り続けるには、余りに漱石はリアリストだった。

*

先日、同年輩の友人に「君は白髪にならんね」と感心したら、
頭は無事だが鼻毛はすでに混じっている。
白い鼻毛には頭髪のそれよりも愕然とさせられるものだという答えが返って来た。
私はそれほどまでには衝撃は受けない。
ただ、鼻毛の白いのはちょっと透きとおって見えるので、
これなら万一盛大にはみ出していても遠目にはわからないかもしれないと思う。

大学の卒論の主査の先生は偉大な髭の持ち主だった。
カール・マルクスの肖像写真を思い出して頂ければ、あんな感じである。
しかしその立派な髭を仔細に観察すると、
どうも鼻の穴の中から始まっているように思える。
してみると髭のように見えるこれは実はボウボウに伸びた鼻毛なのかもしれない。
おどろくべきことだ。
しかしなんだかとてもいやだ。

同じ毛だし、髭より鼻毛が顎を覆い尽くしている方がレアだと思うのだが、
ぜんぜん珍重する気になれん。

昔、エロスな友達が自分は陰毛はもちろん脇毛や無駄毛にも興奮するのに、
鼻毛だけはなぜ萎え萎えになるのだろうと嘆息していたのを思い出した。
嘆息すんなよと思った。

これが透明なる白髪鼻毛であれば、彼も気づかないまま萎えずに済むのかもしれない。

*

「白髪に強いられて、思い切りよく老の敷居を跨いでしまおうか、白髪を隠して、猶若い街巷に徘徊しようか、-其所までは鏡を見た瞬間には考えなかった。又考える必要のないまでに、病める余は若い人々を遠くに見た。
(中略)
白髪と人生の間に迷うものは若い人たちから見たら可笑しいに違ない。けれども彼ら若い人達にもやがて墓と浮世の間に立って去就を決しかねる時期が来るだろう。
   桃花馬上少年時、笑拠銀鞍払柳枝。 緑水至今迢遞去、月明来照鬢如糸。」
(同上)

仕事してます、押忍。
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【2009/05/16 02:18】 | 未分類 | page top↑
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