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お姉さんの憂鬱
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川沿いの公園を歩いていると、けたたましい泣き声がした。

小学3~4年生の男の子と、
もっと幼い子供を連れたやはり10歳ぐらいの女の子の3人連れ。
声の主はいちばん小さい子であった。
顔をぐしゃぐしゃに歪めてわんわん泣いている。
その手を引く少女が「悲しいの? ねえ悲しいの?」と尋ねると、
返事の代わりに泣き声のボリュームが上がる。

外傷はなさそうだ。何があったのか知らないがおそらく大した出来事ではない。
おちびさんが泣くのはコミュニケーションであり日常茶飯事だ。
だから人の顔色を見てぎゃあぎゃあ声を上げる。

ふと、先頭をゆく男子が言った。

「ね、向こうに超珍しい生きものいたよ。行こう」

女の子のレスポンスは早かった。

「あんたこの状況を見て言ってるの? 空気読んでよ!」

女子の持つ資質のひとつにお姉さん属性がある。
自分より年下の子供を見ると、
無条件に可愛がろうとする女の子たちを我々は知っている。
彼女たちは将来の夢を問われて「保母さん」と答える。
現代ならば保育士さんと言うのだろうか。

小さい頃はこれを、女の子らしい優しさの発現であると思っていた。
しかし猿知恵のついた現在は、必ずしもそうでないことを承知している。

優しさとは相手の気持ちを思いやる心であるべきだ。
お姉さんになりたい少女たちの行動を見ていると、
対象となる小さい子らの希望に沿うものとは限らないことに気づく。
彼女たちは相手の意向とは関係なく、
単に自分が可愛がりたいから可愛がっているのだ。
どちらかといえば支配欲に近い感情である。
外聞良く表現するなら保護本能と言ってもいいが。

「優しさ」はだから、時として非常におしつけがましい。
しかも思うような結果にならないと平気で投げ出すことも少なくない。
有体に言って、お節介である。

とはいえ、それが相手の必要とする優しさと一致すれば、
感情的な取引は問題なく成立する。
お金を恵んであげたいお金持ちに対し、
お金を欲しい物乞いが現れれば結果オーライというものだ。

この場合幼な児は明らかに構って欲しくて泣いているわけで、
構ってあげている少女は正しく彼の欲求に答えている。

問題は彼女は別に泣かせ続けたいわけではない点だ。
あくまで自分のステキに優しい慰めによって泣き止むことを期待しているのであって、
これがあと10分も続けば飽きて放り出すに決まっている。

しかし実際には、おちびさんは"優しいお姉さん"が慰めてくれるがゆえに泣いている。
このままだと気が済むまで号泣し続けること必定。
つまりは少女の判断および手順ミスなのだ。
泣き止ませようとするなら、構うのをやめて哀願が無駄だとわからせるか、
あるいは興味を逸らせるのが上策である。

したがって「こんなのに構わず珍しい生きものを見に行こう」という、
少年の提案はまったく正しい。
正しいのだが結局は少女の努力を真っ向から否定することになり、
それゆえ同意を得られないどころか上記のように罵倒される結果と相成ったのだった。

空気を読めという慣用句は、
たいがいの場合「私のメンツを潰すな」と同じ意味に用いられる。
空気はつねに発言者の味方と相場が決まっているのだ。
不思議なことに。

少女の思い描く優しいお姉さん像を無碍にした少年はあえなくKY呼ばわりされ、
その後は黙して二度と語らなかった。
気の毒なことだが、状況が読めてなかったのは事実だから止むを得まい。

この3人の子供たちの物語は結局、
彼らの親御さんたちのところに辿り着いたところで終わりを告げた。
○○ちゃんが××して(私がいくら慰めても)泣きやまないの、という少女の直訴は、
「いいから放っておきなさい」という母親の一言でばっさり切り捨てられ、
同時に子供はぴたりと泣き止んだのだった。

そして後に残ったのは、
ものすごくつまらなそうな顔をした少女と少年の姿だった。

GW最終日、東京は雨かなあ。
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【2009/05/06 05:05】 | 未分類 | page top↑
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