第二十二回東西落語研鑚会・桂文枝追善興業@よみうりホール。
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一月に続き、なかむら治彦さんに御差配頂いての社会科見学。
先生改めてありがとうございます。

ご承知のように落語には江戸と上方の別がある。
2005年に物故された桂文枝師匠というのは、
上方の四天王とよばれたひとりであった。
後りは桂米朝・桂春団治・笑福亭松鶴の三人。
このうち春団治と松鶴両師匠の噺は神戸にいた時分に聞いたことがある。
ウチの高校で呼んで来て頂いてん。
生まれて初めて見た高座だった。

このときトリを勤めた六代目松鶴師匠は当時65歳ぐらいか。
年齢の割に何だか老け込んでおられた。
濶舌のあまりよろしくないきっつい関西弁は、
何を言ってるか半分くらいしか聞き取れなかったものだ。
実はこの10年前に師匠は脳溢血で倒れており、
以来呂律が回らなくなってしまったと知ったのはつい最近である。

そんな口調の怪しい爺さんがマクラも何もなくいきなり噺に入った。
初心者のガキども相手に親切心のかけらもない所業である。

ところがこれが面白い。

その頃世の中は漫才ブームであり、
ガキどもは日頃ひょうきん族だの笑ってる場合ですよを観て笑っていた。
古典落語など素養もなければ興味もない聴衆だ。
それが高座に座っているヨボヨボの爺さんの、
何を言ってるかわからない昔の話にドッカンドッカン受けている。
文字通り爆笑させられているのだ。
私が古典落語という芸は凄いと認識したできごとだった。

もっとも凄いと思っただけで、
その後四半世紀の長きにわたりナマで高座を観たことはなかったが。
根がものぐさやねん。

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仁鶴や鶴光、鶴瓶を育てた松鶴師匠はこの3年後に亡くなった。
そしてやはり三枝や文珍、小枝を育てた桂文枝師匠も、
先年鬼籍に入られてしまった。
今回はその三回忌を記念した追善落語会である。

プロデュースは春風亭小朝。
落語の振興と東西や団体間の垣根を越えた交流を掲げる「六人の会」の主催する、
東西落語研鑽会の一環として催された。
コンセプトは東西の落語家が文枝師匠の持ちネタを演じ、
またお弟子さんたちによる座談を交えてその人となりを偲ぶというもの。

演目は以下の通り。

桂つく枝 「動物園」
林家正蔵 「ろくろ首」
立川志の輔 「猿後家」
座談会・師匠の思い出 (つく枝・坊枝・あやめ・文福)
桂文珍 「稽古屋」

江戸落語界を代表して参戦したのは、
六人の会メンバーでもある林家正蔵、立川志の輔の両師匠である。
正蔵師匠、ろくろ首を高座にかけるのは初めてだったそうな。
緊張のあまりか高座でひとことも文枝師匠について触れなかった。
何のための会だかわからない。
入れ違いに上がった志の輔師匠がそのことを指摘すると、
「忘れてた」と答えたとか。
なんかやっぱりこの人は「林家こぶ平」であるような気がする。

幕が開くと遺影が飾ってあり、生前の文枝師匠の噺が聞こえてくる。
ナレーションが故人の略歴をかいつまんで披露したのち、
改めて出囃子が鳴った。

一番手つく枝師匠の「動物園」は、お題こそ動物園だが新作ではない。
80年ほど前に二代目桂文之助がイギリス種を翻案したといわれる古典の演目だ。
トップバッターとはいえ入門17年目、師匠の十八番をきっちり演じ切った。
面白かった。
文枝師匠の芸が見たかったなあ。

正蔵師匠「ろくろ首」は軽めの噺とされているが、
ベタながら綺麗に決まるサゲは正しく王道。
古典もちゃんと話せますの意気込みの伝わる出来だったと思う。

「猿後家」志の輔師匠はさすがの話芸で客席を沸かせていた。
臨機応変なマクラやくすぐりに頭の回転の速さが見え隠れし、
芸人として脂が乗っている感じがする。
それでも仲入りのときに出くわして挨拶した碩学ホリイ博士は、
「んーやっぱり文枝の猿後家は良かったなあって思っちゃうんだよ」と
述懐していた。
志の輔師匠も噺家としてはまだこれからの人だ、ということなのだ。
逆に言えば今後どんどん円熟してゆくわけで、
十年後が楽しみなひとりだとつくづく思った。

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仲入りを挟んで座談会は、
桂文福師匠の音頭で弟子たちがありし日の文枝師匠をしのぶもの。
二十年ぶりくらいに見る文福さんは懐かしかった。
神戸にいた頃はけっこうTVで見てたもんだ。

むろん湿っぽい内容になる筈もなく、
威勢がいいものの濶舌が滞りがちな文福師匠のマイクを、
坊枝師匠がちくちくと直すなど随所で笑いを取っていた。

紅一点・桂あやめ師匠はちょうど今NHK「芋たこなんきん」出演中で顔を知っている。
前座名の桂花枝の頃にやはり神戸でちょくちょく見かけた覚えがある。
女性のお弟子さんの少なかった師匠に可愛がられたエピソードが微笑ましかった。
ちなみに「桂あやめ」は文枝師匠が最初に名乗った高座名でもある。
男性が名乗るのは不思議だが、
艶っぽい芸風で知られた文枝師匠らしい気もする。

そういや関西では文枝師匠はホモだとの噂があったっけ、と思い出す。
もっともお弟子さんたちの話によれば、
少なくとも両刀行けたことは間違いないようだ。
それもまた艶っぽくてよろしい。よろしいかな。まあいいや。

座談はほっとくとどこまでも続きそうだったが、
舞台袖の小朝師匠のマキが入ってお開きとなる。
文福師匠が師匠を謡った相撲甚句をひとくさり吟じて締めた。

大トリを勤めるのは文枝の三番弟子、文珍師匠。
かつて「顔がおもろい」という理由で笑われた男は、
数十年を経て関西でも一、二を争うクレバーな噺家としての地位を確立した。
1980年代にニューウェーブ落語家で売っていた頃が懐かしい。
本当は短気だとも言われるが、
決して声を荒げることのない練れた語り口は正しく古典に相応しい。
円熟の話芸を堪能いたしました。

一方で稽古屋の女先生を、
文枝師匠がどう演じてたのか無性に気になった。
生前の高座を観ておきたかったと悔やんだことだよ。

そんな満足の夕。
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【2007/03/27 23:01】 | 未分類 | page top↑
思い出したこと
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もうずいぶん前のことになる。
ある小規模な麻雀大会に顔を出していた。

適当な相手と卓を囲んで個人ポイントを稼ぐシステムなので、
好きこのんで打ち続けている必要はない。

そのとき私は席を離れてカメラマンのTちゃんと話していた。
彼の傍らにはカメラバッグが置いてある。
取材中のカメラマンのバッグというのは、
すぐ中身が取り出せるように大概口が開いているものだ。
開いた口からは大小の交換レンズセットが見える。
レンズキャップが全部外してあるのも、
迅速な交換を可能にするために違いない。
決して閉め忘れやものぐさではなく。

ふと気づくと、
横に突っ立ってバッグの中身を凝視している女性がいる。

「あのー、私最近カメラマンと結婚した者なのですが。
こういうのってフタした方がいいんじゃないでしょうか」

いやいやおっしゃる通りです。
頭を掻くTカメラマンだった。

「なんか気になるんだよね」

女性はけらけらと明るく笑った。
新婚二ヶ月目くらいの頃のりえぞう先生である。
おそらくそれまでの人生で、
バッグの中のレンズにフタが閉まってるかどうかを気にしたことなど、
無かったに違いない。

ダンナさんはと私が聞いたら、
アフガニスタン行ってる、ふざけんなって感じよねと少し複雑な顔をした。
戦地である。

「なんか私新婚二ヶ月で未亡人かも」と続けた、
苦笑混じりの寂しげな表情が忘れられない。

鴨志田さんの戦場ジャーナリストとしての師であった橋田信介氏は、
2004年5月バグダッドで取材中に狙撃を受けてその生涯を閉じている。
記者会見での奥さんの気丈な態度は記憶に新しい。

りえぞう先生もまた、
色々なものと闘い続けた鴨志田さんを見守り続けた、
銃後の妻であったように思う。

子供のように澄んだ目をした戦士だった。

改めてご冥福をお祈りします。
【2007/03/23 01:35】 | 未分類 | page top↑
電車も、バスも
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てな訳で入手してみましたPASMO。


関東圏以外の方は身近でないと思いますので、
下に公式サイトをリンクしておきます。
http://www.pasmo.co.jp/
要するに首都圏のたいがいの交通機関に乗れてしまう、
万能非接触型ICカードやねん。
JRのSuicaやICOCAが私鉄やバスでも使えるようになった状況だ。

っていうか、
この3月18日から実際にSuicaもPASMOと同機能を実装している。
つまりSuicaで地下鉄や私鉄に乗れてしまうわけで、
従って既にSuicaユーザーである私は特にPASMOを買う必要はない。
ただ、メトロ乗りの身として一枚持っておきたかっただけ。
デザインけっこう可愛いし。

もっともこの2枚、当然ながら同じパスケースに入れては使えない。
だからPASMOを定期入れに、Suicaの方を財布にしまいました。
これでどっちか忘れても電車に乗れるぜ。いえー。

PASMOの購入時には1000円~10000円から選べる。
これらは単に初期度数の違いで、
後からチャージすればどれを買っても同じだ。
ただしこの額面にはデポジット(預り金)500円が含まれており、
たとえば5000円のPASMOの実際の度数は4500円分になる。
このため1000円のを買ってしまうと500度数しか使えず、
あっという間にチャージが必要になってしまうので注意したい。
どうせなら3000円以上のを選んでおきたい。

つってもまあお勤めの方は定期で購入するだろうから、
また事情が違ってくると思うけど。

メトロ乗車時におけるパスネットとの違いは、
運賃が一括して降車時に引かれること。
従って乗るときには改札には満額が表示されます。

何といってもいちいちケースから出さなくていいし、
バスに乗るのに小銭用意しなくてもよくなるのが嬉しいぜ。
ブラボー科学の進歩。

ちなみに使用後10年間は失効しないとのことなので、
たまに上京なさる用事のある方も利用できますぞよ。


そんな感じで。
以上、風呂に入浴剤と間違えて部屋干しトップを入れそうになり、
寸前に気づいて難を逃れたわたくし日高がお送りしました。
綺麗になるとは思うんだけど、すすぎに自信がなくて。

いいから働きます。
【2007/03/19 02:46】 | 未分類 | page top↑
達者で暮らせ
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うんちゃかうんちゃかしてたら電話がかかってきたので、
てっきり原稿の催促だと思ったらやっぱり催促だった。

なんでも大学が創立125周年だとかで、
漫研OB展やるからなんか描けというお話だ。
このような末席を汚すたぐいのOBに声をかけてくれるのは嬉しいし、
喜んで参加したかったのだが、
間に合わないと思って諦めてたのだ。

しかし若者へのメッセージをテーマに描けってゆわれても、
とくに思い浮かばんのですが。
遺伝子を後世に残さない身としては。
泉水の言葉を借りればDNAに逆らってます私。

ええ、察しのよい方はお気づきのように『重力ピエロ』読了いたしました。
注意して手すきのときに読み進めてたのに、
やっぱり後半1/3くらいは一気読みになってしまった。
力のある文章なのだ。
目下『アヒルと鴨のコインロッカー』に手をつけるべきか否か迷ってるとこ。
修羅場過ぎてからの方が賢明かもしれん。

読んでいてふと気づいた。
私が腹を立てると口を利かなくなるのは、親父の遺伝だ。

父はおとなげない理屈屋である。
その時点で十分DNAは受け継がれているのだが、
小賢しい私に比べて父の性格ははるかに素直で可愛げがある。
もっとピュアに子供っぽいのだ。
だから頭に来るとブンむくれてしまう。

私が目にする怒りの対象は常に母であった。
三人姉妹の末っ子でお嬢さん育ちの彼女は多分におっとりしており、
頑固者の長男であった父を苛つかせるところがあったのだろう。
絶対に手をあげることはなかったが、
ただとにかく黙りこくってしまうのである。

高校の頃、何が原因か知らないがこの夫婦間絶交が数日に及んだことがあった。
呑気な母もこれには弱って私に相談を持ちかけたものだ。
「お父さんがもう何日も口利いてくれないのよ」

こっちはそんな事態にはまったく気づいておらず、仰天した。
父は子供にはきわめて普通に接していたのである。
要するに「おれが腹を立ててるのはお前に対してだけだ」という、
母へのアピールなのだ。
なんだかうっとおしい。困った人である。

むろん出来の悪い次男坊が仲裁に役立てたはずもなく、
それでも大した事態に進展することもなく夫婦仲は元に戻った。

当時はなんて幼稚な人だろうかと呆れていたが、
自分もそれなりに幼稚な大人に育ってくると何となくわかってきた。

父は父親であるから、日常的にばかな息子たちを叱り付けていた。
が、その際の怒り方は母に対するそれとは違うのだ。
悪さをすれば容赦なく怒鳴りつける。
一度きりしかないが張り飛ばされたこともある。
子供の叱り方なのだから当然かもしれないが、
おそらく職場での部下に対する叱責も同様であったろう。

父がヘソを曲げて口を利かなくなってしまうのは、母に対してだけだったのだ。
甘えていたのである。

この子供っぽい性癖を、うっかり私も受け継いでしまっていることに気がついた。
厳密には自分の性格としてはとうに承知していたが、
親父の遺伝だということに思い当たった。

自己弁護を兼ねて当時の父をすこし擁護すると、
あれはかまって欲しくて拗ねているだけではない。
言葉が出てこないのだ。

わからず屋の相手に腹を立てているのなら、
わかるまで説得あるいは罵倒してやろう。
それでもわからないようなら、
面倒だからもう何もなかったように笑顔で接してやろう。
もしくは永久に仲違いしてしまおう。

でも、わかってくれるはずの相手にわかってもらえなかったとき、
自分を傷つけるはずのない相手に傷つけられたとき、
何をどう言えばいいのかわからなくなってしまうのだ。
だから口を利けなくなる。
けど、それはよっぽど気を許した相手にしかやりません。

父はただ純粋に母に甘えていたのだ。
そのようなややこしい愛情表現をされる側にしてみればたまったもんじゃなかろうが。
途方に暮れるだろうし。

だからまあ、私はなるべく気をつけてます。
自分で気が付くとなんだか情けなくなるので。
それでもやっちまったらごめんよ。

思いついたぞ、若者へのメッセージ。
歯みがけよ。宿題やれよ。頭洗えよ。

達者で暮らせ。
【2007/03/18 02:54】 | 未分類 | page top↑
日々是ちくわパン
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まんが描いたり取材行ったり遊んだりごはん食べたり、
約束の日付を一週間勘違いして、
電話が来て驚いて裸足で駆けてく陽気なサザエさん。
そんな生活を送っている私が日高です。
皆様いかがお過ごしですか。

上の写真はしばらく前にふと魔が差して買ってしまった特殊な食糧です。
買ったものの別に腹が空いてなかったため、
とりあえず写真だけ撮っておいたら存在を忘れ去りました。
元々賞味期限切れかけの奉仕品だったこともついでに忘れました。
気がついたときにはちょっと手遅れでした。
いちおう袋開けて中味覗いてみたけど、
その日納品しなければならない仕事が2件ほどあったので諦めました。
期限切れの惣菜パンに中って落としたのでは信用問題やけん。
理由はどうあれ落とした時点で信用問題だとは思うが。

だから味の方はわからない。
フジパンは愛知の会社ゆえ、
ちくわは豊橋産ではないかとせっかく余計な推理をしたのに。

朝方に初雪の舞った今日の東京地方、
これからアキバで取材です。
ウアホ。
【2007/03/16 13:39】 | 未分類 | page top↑
あたらしいおともだち
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あたらしいおともだちです。
オリンパスCAMEDIA SP-550UZ。
もはや性能に関してあれこれゴタクは並べませんので、
興味のある方はメーカーサイトをご覧下さい。
http://olympus-imaging.jp/digitalcamera/sp550uz/
個人的には、やっとクールピクス950の後釜が見つかったってとこ。
通算10台目のデジカメですけど。うげげ。

それにしてもコンパクト機でこれだけのスペックのものが出てきてしまうと、
ファミリーユーザーが一眼デジタルに手を出す意味ってぶっちゃけ殆どないと思った。
実際、F3.5クラスのズームセット一眼買うくらいなら、
コンデジの方が全然コストパフォーマンス高いがな。
モノによるけどせいぜい半分以下だもん、値段。

この辺、銀塩時代の一眼とコンパクトの勢力分布とはだいぶ事情が違う。
あの頃4~5万円クラスのズームコンパクト機を買おうという人がいたら、
私は全力で止めていた。
悪いこた言わない。安物でいいから一眼レフ買えと。

これは至極単純な理由で、
安物の一眼用ズームがF3.5-5.6くらいの明るさなのにに対し、
コンパクトのズームってF4.5-11とかいう途方もない暗さだったのだ。
レンズの明るさはシャッタースピードにダイレクトに反映する。
手ブレ防止装置など存在しない時代だ。
105mmF11とかいうレンズではシャッタースピードはめためたに遅くなり、
三脚無しに写そうとすればプロでもブレてしまう。
コンパクトカメラ持ち歩くのに三脚携帯する物好きはほとんどいない。
まともな写真が撮れないのだから詐欺も同然である。
見せ掛けだけのハイスペックでしかない。
1990年代までの高倍率ズームコンパクトは、
基本的に買ってはいけない商品やってん。

しかし記録方式がフィルムからデジタルになると、
一眼レフとコンパクトにはもっと別な違いが出てきた。
撮像素子の大きさである。

コンパクトデジカメの撮像素子は1/1.8か1/2.5型CCDが主流だ。
画面サイズでいうと7.5mm×5mmか6mm×4.3mmになる。
これに対して一眼デジカメの撮像素子は、
もっとも小さいフォーサーズマウント対応機で17.3×13.0mmある。
ニコンやキヤノンのフラグシップ機に至っては、
35mmフィルムと同じ36×24mmをキープしている。
ぜんぜん違うねん記録画面の大きさ。

当然ながら記録面が大きいほどデータ再現は豊かになる。
売場では画素数ばかりが話題にされるが、
実はこっちの方が大きな問題だったりする。
少々乱暴な言い方をすれば、だから一眼レフで撮った写真はキレイなのだ。
デジタルの場合。

が、それはプロやオタク連中が拘るレベルの話。
コンパクトデジカメはこのビハインドを逆手に取った。
具体的には、たとえば記録面が小さければレンズも相応にコンパクトで済む。
一眼レフなら28~504mm相当というバケモノみたいな高倍率ズームが、
1/2.5型CCDであれば4.7~84.2mmというサイズで実現できてしまうのである。
ちょっと専門的な話になるが、
焦点距離が短くなれば有効口径も小さくて済むため明るさをキープするのも容易だ。
だからSP-550UZではF2.8-4.5という驚異的な数字が出ている。
一眼でこんなレンズを作ろうとしても、
とてもじゃないが実用レベルのものは出来ない。

手っ取り早くいえば、
現在コンパクト機として市場に出回っているデジカメは、
一眼レフタイプのそれとはまったく別種のキカイやねん。
いにしえのハーフサイズやポケットカメラに近い。
別種のキカイだけれど同じようにデジタル写真が撮れる。
違いはボケがきれいに出るとか出ないとか、その程度だ。

キレイな写真は撮れるけどデカくて高い一眼レフと、
それなりの写真しか撮れないかもしれないが小さくて安くてハイスペックなコンパクト。
前者を選ぶ理由は決して多くない。

もっともこれを逆に考えると、
いくらスペックが良くてレンズが明るくても、
たとえば上に示したような画像
(α7Digital + 35mm/1.4、f3.5オートで撮影)はコンデジでは撮れない。
どうしても被写界深度がそこまで浅くならないのである。
これが銀塩時代ならフィルムは一緒だから、
コンパクトでも良いレンズのついたもので三脚とかちゃんと使えば、
一眼で撮ったものとまったく遜色ない画像が撮影できたのに。

そのへんの違いをユーザーがどう判断するかってのが、
目下のデジカメ選びのキモなのだと思う。
思います。

実写テストからブツ撮りを2枚。
モデルは36年前のオリンパスの傑作、OM-1。
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1971年の発表当時、
劇的にダウンサイジングされた一眼レフとして話題を集めた機種である。
そうだ。
この50年余り、小さくて精密なものを作らせたら、
オリンパスの右に出る光学メーカーはなかった。
そしてSP-550UZにもその精神は脈々と受け継がれている。
なんか嬉しい。

昨日は取材にこれ一台抱えて行きました。
機材少なくて済むんでほんとラク。
しばらくは延々持ち歩いてるので、
会った人は呆れればいいと思います。

昨日あたりから既にもう呆れられてんだけどさ。
【2007/03/11 10:58】 | 未分類 | page top↑
矢印の先っぽの国の顛末
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佐藤さとる『コロボックル物語』全5巻読了。
以下ややネタバレも含むので、
これから読もうという人はご留意くだされ。

子供の頃に読んだのは2作目止まりで、
3作目以降を紐解くのは実は初めてである。
もっとも完結作『小さな国のつづきの話』が世に出たのは1983年だ。
とうに児童文学を読む歳ではなくなっていた。
逆を辿れば1作目『だれも知らない小さな国』は1959年の作品である。
佐藤さとるは四半世紀を費やしてこの物語の幕を引いたことになる。

本作には「幕を引いた」という表現が似つかわしい。

現在、世間には連作の長編ファンタジーが氾濫している。
指輪物語やナルニア国、ゲド戦記にハリポタといったベストセラーはさておき、
中には何匹目だかのドジョウを狙った噴飯ものも少なくない雰囲気だ。

全5作で完結するファンタジー小説という意味では、
コロボックルものも同じカテゴリに属するのかもしれない。
しかし通読したときに感じる印象は明らかに連作のそれではない。
同じ世界を描いていながら、である。
首を捻った挙句にやっと思い当たった。
シリーズ化された映画を続けて観たときの感じだ、これは。

各作品の発表年度を見てみよう。

1.だれも知らない小さな国(1959)
2.豆つぶほどの小さな犬(1960)
3.星からおちた小さな人(1965)
4.ふしぎな目をした男の子(1971)
5.小さな国のつづきの話(1983)

『だれも知らない小さな国』はシリーズものの一作目として書かれた本ではない。
従って本作だけが完全に独立完結した物語になっている。
自費出版本が編集者の目に止まって講談社から上梓されたという経緯はダテではなく、
児童文学としての完成度は非常に高い。
毎日出版文化賞とアンデルセン国内賞を受賞している。

そして年を経ずして書かれた2作目『豆つぶほどの小さな犬』は、
読者の熱望に応えて綴った「コロボックルたちのその後のおはなし」である。
いわばファンディスク的な意味あいを持った作品だ。
とはいえあとがきで作者自身が述べているように、
内容は彼が小さい頃から暖めていたものだけに破綻はない。
十二分に面白く読める創作童話である。
クルミのおチビ可愛いし。

ただ、一作目では人間である「せいたかさん」に置かれていた視点は、
コロボックルのクリノヒコにバトンタッチされている。
言ってみればスタンスを完全に架空の世界に移してしまった訳で、
それゆえ前作とはまったく風合いの違う作品になった。
この時点ですでに連作ではなくなってしまっているのだ。

子供の私は面白く読んだのだが、同時に「ああ、うそっこの話なんだな」と感じ、
続きに手を出すのを止めてしまったのだった。
色気づいて来たガキンチョというのはリアリティを過剰に重んじるものだ。
そして読まなかった3作目以降は、
2作目と同じようなコロボックル世界のファンタジーなお話だろうとずっと思っていた。

だが30年近い月日を経て手にした『星からおちた小さな人』は、
意表を突いて三人称で綴られていた。
つまり今度は語り手自身に視点が移動しているのだ。
『だれも知らない小さな国』から5年、
佐藤さとるはこの作品でコロボックル物語を擱筆するつもりだったという。
お話として語り終えたい、そんな気持ちが書かせた三人称の物語ではなかったか。

本作で作者は普通の人間の少年を登場させ、
コロボックルとの接触を描くことで舞台をふたたび現実世界に引き戻し、
物語の環を閉じようと試みている。
が、閉じ切れなかったのはさらに作品が続いてしまったことで明らかだ。

4作目『ふしぎな目をした男の子』は、だから余談である。
もちろん物語としての体裁は整っているし面白いのだが、
コロボックルの歴史における一挿話の域を出ていない。
三人称で語られてはいるものの、
位置づけとしては2作目に戻ったようなものである。

もちろん他の多くのシリーズものがそうであるように、
『豆つぶほどの小さな犬』
『ふしぎな目をした男の子』のようなエピソードを綴っていったなら、
コロボックル物語はいくらでも続けることが出来ただろう。
事実、そうした挿話は他にも短編の形でいくつか発表されている。

しかし佐藤さとるは結局続けなかった。
4作目から12年の沈黙を経て、
自ら『小さな国のつづきの話』と銘打った物語を書き下ろし、
終止符を打ったのである。
最初の一章がまるまる人間界の話であり、
作中で作者自身の存在について言及され、
コロボックル物語シリーズが図書館の棚に並んでしまっているこの作品は、
強引と思えるまでの現実世界へのリンクを試みている。

ひとつには物語が書かれたのが、
空想やファンタジーに対して冷淡な時代だったというせいもあろう。
70年安保以降の日本文化の要はくそリアリズムだった。
高度成長期に豊かな現在と輝かしい未来を夢想した人々は、
80年代に入って現実の壁にまともに対峙することになる。

だが、時流のせいばかりではあるまい。
サーガを語り続けることを拒んだ佐藤さとるは、
あくまで物語を現実の手に返すことでケリを付けたかったのだと思う。
3作目のときと同じように。

ケリは付いた。
私にはこの12年後の完結編がコロボックル物語の墓碑銘のように思える。
決して悪口ではない。
自分で語り始めた話のお墓をきちんと建てられる書き手はきわめて少ない。
連作を投げっ放しにしてしまう小説家の何と多いことか。
私自身も語り部の端くれとして、
引っ張りすぎた話がいかに収束させ辛いかは承知しているつもりだ。

佐藤さとるは読者と自らの作品世界に対して、
あまりに真摯に向き合っていたのである。

1973年に文庫化された1作目『だれも知らない小さな国』の解説で、
神宮輝夫は述べている。

「この物語が続編を書くべきだったかどうかは多分に疑わしい。」

完結編の発表を待たずして書かれたこの一文は、
明らかに神宮のフライングだと私は思う。
解説で続編の存在意義を問われてしまった佐藤さとるが、
苦吟したであろうことは想像に難くない。
そんなことは言われるまでもなく作者自身が一番承知しているのだ。

ただし神宮はさらにこう続けている。

「ただ、佐藤は『このつぎ、どうなるの?』と読者にせがまれて書き続けざるをえなくなった幸運なひとりになったことは確かである。」

このふたつの文章が、
佐藤さとるとコロボックル物語の24年間を端的に表現していることは間違いない。

だからこれは単なるシリーズもののファンタジー小説ではなく、
ひとりの作家の四半世紀にわたる自分の作品との対決の記録なのである。
その重みは結局凡百の絵空事の積み重ねを遥かに凌いでしまった。

そしてそこには、
ユートピアを描き切ったリアリストという、
たぐいまれな文学者の姿が確かに刻まれているのだ。
【2007/03/05 23:04】 | 未分類 | page top↑
克明なふたつの夜
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長いよー。

井浦秀夫小学館漫画賞受賞記念パーティー@青山スパイラル
スパイラルホールではなく、5Fのレストランだけどね。
そらそうか。

『弁護士のくず』で52回小学館漫画賞を受賞された井浦先生は、
何を隠そう漫研の先輩である。
もっとも10歳上なので現役時代はかすっていない。
っていうか今回初めて10歳上だって知った。
今年で52ですよイウラー。ぜんぜん老け込まんねこの先生も。

授賞式は帝国ホテルで賑々しく行われたそうで、その後の二次会である。
パーティー告知のFAXに当日まで気づいておらず、
誰が来るのやら何もわからないまま顔を出してみた。
来ない人は二人も知ってたのに。

来賓は漫画家と各メディア関係者と漫研関係者と、
あと弁護士関係とAV関係の方々だった。
後半は彼の作品を想起して頂ければよろしい。
福本伸行・本そういち・木山道明といった先生方は、
種類を問わずパーティーの常連である。
目立つし。特に後の二人。
そういや福本さんに「日高さんは相変わらずいい味出してるねえ」と言われた。
他人のこと言えた義理か。
たぶんご自分がどのような深いコクと味わいを醸し出しているか、
まったく判っておられないに違いない。

漫研関係では久しぶりにさそうあきら先輩に会えて嬉しかった。
ひとしきり昆虫談義をする。
今年はルリボシカミキリを見に行こうと誘われた。わあい。

やまさき十三先生だったか、
スピーチで「井浦さんは真面目で誠実な人だ」と評していた。
当たっているようなそうでもないようなだなあと思ったのは、おそらく私だけではあるまい。
確かに真面目で天然で素朴な人柄なのはその通りだ。いつも腰低いし。
しかしそれだけでは人は漫画家にはなれない。
なったとしても賞は取れない。
あれは実に妙な人である。
なんせカンを3回すると手牌がなくなるような方だ。
「目の前のことしか見えてないんでしょうねえ」とは、とある失礼な参加者の言葉である。
俺が言ったんじゃないよ。

ただ、井浦さんはその見えている目の前の範囲に対しておそろしく真摯で誠実なのだ。
たとえチョンボかましても。

『弁護士のくず』が、独学で法曹界を調べあげた持ち込み企画だという事実は、
彼の作家としての得難い資質のすべてを物語っている。
凄いことだと思う。
今回の受賞はその努力に対する正しい評価に他ならない。
おめでとうございます井浦さん。
ほんと嬉しそうだった。
講談社漫画賞のときの福本さんもそうだったけど、
人が自分の仕事を評価されて素直に喜んでいる様子はいいものだ。
おすそわけを頂いた気持ちになる。
「こんなに褒められたのは初めてです。一生一度のことだと思います。
いい冥土の土産になります」と本気で言ってたし。

AV関係の出席者の中に中村京子嬢の顔を見かけた。
嬢っつっても私より年上だけどな元祖Dカップ女優。
でも20年前に女相撲とか仕切ってた頃と全然変わってなかったよ。
「あれ中村京子じゃないかな」と周りの誰に言っても通じないので、
わざわざ主賓井浦先生に確かめました。
「よく知ってるねー」と心から感心されたさ。
およそ人生の役に立たない知識ならお任せ下さい。

帰りに永田町の駅で乗り換えを10分ほど待っていたら、
「新木場ゆきがまいります」と言われてホームが逆であることに気づいた。
アナウンスって大事なんだな。


平沢進ライブ「PHONON2550」@恵比寿リキッドルーム。

ヒラサワというのは元々P-MODELというバンドのフロントの人である。
四半世紀を越す芸歴をいちいち説明はしないが、
テクノシーンの割と重要な人物のひとりだってことになっている。
特にP-MODEL初期のDEVOにも通じるパンクテクノな音は本邦では他に類がなく、
後に有頂天などのフォロワーを生み出した。

バンドは数回のメンバーチェンジを経て休眠状態に入り、
21世紀に入って以降はもう完全にソロの人だ。
レーベルも個人で立ち上げて好き勝手やり放題。
好き勝手が嵩じてもうまともなライブはしばらくやっていなかった。
ここ数年は『インタラクティブ・ライブ』と称するステージアクトを行っている。
観客にさまざまな電子的インターフェイスが用意されており、
その反応によってダイレクトにステージ展開が変化してゆくイベントだ。
いわば双方向通信、ライブコンサートにおけるユビキタスを実現してみせたわけで、
一部に異常に高い評価を受けている。
2001年には(財)デジタルコンテンツ協会と経済産業省の共催する
「デジタルコンテンツグランプリ2001」において、
経済産業大臣賞及びエンターテイメント部門最優秀賞を受賞したそうな。
バーイ・ウィキペディア。

つってもたとえば私は単純に彼のギタープレイとかが好きなので、
その辺の凄そうな活動っぷりにはいまひとつ食指が動かなかった。
すみませんそこまでコアなファンじゃないです。
いちばん愛聴してたのは1985年前後のP-MODELなんだよ。

それでも独特の平沢節にはやっぱり愛着があり、
映画『パプリカ』観てて主題歌が流れたときは、
ちょっとニヤニヤしちまったものである。

そんな平沢進が何を思ったか久々に普通のライブをやるという。
せっかくなので腰を上げてみた。

普通とはいっても既にテクノの人だ。
演奏の殆どはオートシークエンスであり、サポートメンバーは誰もいない。
言ってみればカラオケである。
ただしステージ上にはキーボードとギターと、
あと自作の怪しげな楽器グラビトンがセッティングされている。
これは自転車の車輪がついたシンセサイザーで、
要するに車輪を回すことで発生する電気で演奏される楽器なのである。
変なエコロジー趣味の結晶だ。
いいから普通にギター弾けよ。
画像参照。柱の影であまり見えなかったんでテキトーです。

070304_2.jpg

で、内容ですが良かったっすよ。
「おっさんのカラオケか」と思って期待してなかっただけに。
やっぱり伊達に30年ミュージシャンやってねえよなあ。
1985年P-MODELの名曲『サイボーグ』を演ってくれたのは望外の幸福。
『オーロラ』のデストロイなギタープレイはパンク時代を彷彿とさせたし。
『白虎夜の娘』ではパプリカのOPシーンが鮮やかに甦ったし。
ご来場の今敏監督も満足したに違いない。

某所でアップされていたセットリストを補完転載。

嵐の海
オーロラ
キャラバン
サイボーグ
時間の西方
白虎野の娘
赤化(ルベド)
死のない男
ナーシサス次元から来た人
生まれなかった都市
広場で
スノーブラインド
万象の奇夜
ハルディンホテル
山頂晴れて
救済の技法
town-0 phase-5
quit
賢者のプロペラ3

正味2時間弱のオールスタンディング、なんとか腰も痛めずに完走したぜ。

平沢師匠最後の挨拶。
「今日の演目はすべて終了しました。とっとと帰りなさい」

とっとと帰って爆睡しました。
【2007/03/04 16:26】 | 未分類 | page top↑
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