
時そばという古典落語の演目がある。
蛇足ながら簡単にあらすじを紹介しよう。
冬の夜、往来で流しの二八そばを呼び止める一人の男。
しっぽくを注文すると口八丁にそばの味はもちろんのこと、
店名や容器割り箸に至るまで言葉を尽くして褒め称える。
そして勘定の段。
「いくらだい?」
「十六文で」
「小銭は間違えるといけねえ。手ェ出しねえ。
それ、一つ二つ三つ四つ五つ六つ七つ八つ、今、何どきだい?」
「九ツで」
「とお、十一、十二、十三、十四、十五、十六と」
九文目をそば屋に勘定させて一文分ごまかして行ってしまう。
その後これを見ていたヨタローな男が真似をしようとし、
ことごとく失敗してしまう様子を活写した噺である。
古典中の古典なんでネタバレ配慮するのも却って野暮な気もするが、
サゲの部分はなんとなく伏せて置いたりして。
仕草の基本であるそば喰いの描写もあり、
わかりやすく隙のない筋立てと相俟ってよく知られている。
寿限無や子ほめと並んでメジャーな落語といえよう。
先輩の漫画家さんにお誘い頂いて足を運んだ国立劇場の演目は、
柳亭市馬・三遊亭白鳥・柳家喬太郎の三人の噺家さんが、
それぞれ三者三様にこの『時そば』を演じるという高座だった。
プログラムは四部構成。
まず3人が並んで高座に上がり、マイク片手にいわば前説をひとくさり。
楽屋噺で常連さんの笑いをとる一方で、
『時そば』は柳家小さん師匠が上方落語の『時うどん』をアレンジしたのが始まりで、
それゆえ主に柳派一門が得意としている等の薀蓄も披露。
客席をあたためる。
続いて本題。持ち時間はそれぞれひとり30分。
時そば自体は15分ほどで終わってしまう話なのだが、
倍の時間が設けてあるところがミソ。
ちなみに噺に入ると皆マイクは使わない。
高座でマイクを使う人というのは、
確か一度喉を潰してしまった仁鶴師匠ぐらいだった筈だ。
トップバッターは五代目小さん門下の市馬師匠。
聞き取りやすい濶舌のはっきりした良い声の噺家さんだ。
他の二人の紹介なども交えつつスマートな枕を聞かせる。
そこからすっと自然に噺に入っていくあたり、実にオーソドックス。
最初ということもあり、きっちりと古典を演じ切ってくれた。
先輩のお話では本当に小さん直伝の芸らしい。
それでもちゃんと笑いを取れるのだからやっぱり凄い。
一見当たり前のことをやっているだけだが、
この催しの性質を考えるとなまなかなプレッシャーではない。
後に控えるふたりは曲者であり、お客もそこを承知して笑いに来ているのだ。
そんな連中を前にして古典落語を古典のままに披露して笑わせてみせる。
さすがの芸の力だと思った。
二番手の喬太郎師匠は柳家さん喬師匠の一番弟子。
さん喬師匠は小さん門下なので市馬師匠の兄弟子にあたる。
このため市馬師匠と喬太郎師匠とは「叔父弟子・甥弟子の関係(本人談)」となる。
新作落語を得意としているが、古典もこなす逸材として令名高き噺家さんだ。
マクラでは上京して初めて食べた高田馬場の立ち食いそばの思い出をはじめ、
コロッケそばに対する思い入れ、とんかつそばに対する違和感を熱演し、
見事に観客の心を掴み切る。
噺の方は筋立て自体にはほとんど手を加えず、
しかし心憎いあたりで時事ネタや自虐ネタ、
果てはウルトラQまで持ち出す小ネタを織り交ぜて攻めて来た。
おそらく噺を壊すということに関しては後に控える白鳥師匠に任せたのだろう。
まさしく試合巧者の一席を堪能させて頂いた。
さて三番手白鳥師匠は三遊亭圓丈門下の飛び道具。
師匠自身がかつて圓楽師匠とひと悶着やらかした飛び道具であるだけに、
当り前な落語を演るとは誰も思っていないし当人もやる気がない。
二ツ目時代には新潟出身のため三遊亭新潟の名で通っており、
その頃から破天荒な芸風は私も風の噂に聞いていた。
何しろ純白の着物の胸元には白鳥の紋が入り、
袖にはなぜかアディダスの3本線である。
背面ど真ん中には白鳥の飛び姿が真紅で染め抜かれ、SWANの文字が燦然と輝く。
もう何者だかわからない。
高座は一貫して体当たり暴走破壊系。
そば打ちと称して灰色の座布団を全力で打ち捏ね回し、
屋台はリサイクルとなり箸は骨拾い用に、丼はついにヘルメットになった。
終わった後は草一本残らない感じであったことだよ。
これを芸風として確立させているのだから、
やはり並々ならぬエネルギーの持ち主である。
三者三様の高座、それぞれ好き勝手に演じているようでいて、
その実緻密に計算され考え抜かれた構成と演出が印象に残った。
短く感じられた中入り無しの2時間。
十二分に楽しませて貰ってお釣りが来たことだよ。
いいなあ落語は。
今度ぶらりと池袋演芸場でも入ってみるかね。