
小学生の頃、線路を買ったことがある。
友達のチャーリーんちには汽車が走っていた。
なんで奴のあだ名がチャーリーだったかも話したいところだが、
これは彼の本名に由来するため、うかつに公表できないのが残念だ。
とまれ走っていたのはJRや私鉄ではない。
彼の年嵩の兄が道楽で幅十数センチぐらいの模型鉄道を引いていたのである。
おかしな店で料理を運んで来るような、ああいうサイズのだ。
門をくぐって家の玄関に向かう途中には踏切があり、
運がよければ走行中の列車に遭うことができた。
チャーリー邸の敷地は広かった。
一方私んちは公務員宿舎である。
そのような鉄道を敷設する敷地はおろか庭すらない。
ベランダは母の植木鉢やプランターで埋め尽くされてたし。
だけど。
少年は考えた。
Nゲージだったら部屋の中で走らせられるんじゃないか。
鉄道模型にはいくつかの規格がある。
よく知られているのは線路幅16.5mmのHOゲージと9mmのNゲージだ。
さらに小さい6.5mm幅のZゲージなんてのもあるが、
これは当時その辺の店では扱っておらず、
子供の科学や鉄道ファンやらの広告でしか見たことがなかった。
HOは迫力はあるが子供にはデカいし高い。
最も身近で魅力的なのは、何と言ってもNゲージだった。
もちろん気軽に買えるような値段ではないが、
小遣い貯めたりお年玉がバーンと入れば手が届かない程ではない。
殊にKATOブランドで知られる関水金属製のNゲージ模型は、
その比類なき精密感で10代の少年たちを魅了した。
大人の世界における鉄道マニアはそれなりに特殊能力な人々だが、
12、3歳くらいまでの男の子というのはまず例外なく乗り物好きである。
実際に乗ると酔ってしまう悲しいお友達も、
動いてるところや写真を見るのは大好きなものだ。
少年日高トモキチは綿密な計画を練った。
まずは線路を入手して軌道を決め、次にパワーパックを購入し、
しかる後に憧れの模型を走らせるのだ。
模型店のウィンドウに並ぶ光輝くボディを眺めつつ、
いつかあれが家の中を縦横無尽に走り回る日を思い描き、
恍惚と小遣いを貯め続けた。
そしてある日ついにKATOのNゲージの線路一組を購入した。
もっとも小さな周回軌道が組めるセットである。
興奮さめやらぬまま帰宅してただちに組み上げた。
するとどこにも置き場所がないことがわかった。
綿密な計画は一瞬で頓挫した。
その後現在に至るまで模型車両を買ったことはない。
線路は広い家に移ったらあるいはとの期待を込めて持っていたが、
肝心の引越しの時にどっかに行ってしまった。
たいがいこんなような細かい挫折を繰り返し、
少年は大人への階段を上ってゆくのである。
それが成長と呼べるかどうかは別として。