
Twitterで吉田戦車さんにお話を伺い、
西新宿の成子天神社の富士塚に行って来たのである。
先週、1月7日のお話。

成子天神社の創立は903年。
延喜3年といえば延喜式が出来た時分であるからたいそう古い。
菅原道真公の没年に、
その死を悼んだ家来たちが太宰府から像を持ち帰ったのが始まりなのだとか。
後、源頼朝によって社殿が作られ、
江戸期の火災後に現在の場所に移転、今に至るという、
けっこうな由緒のある天神さまなのである。

参道の面する青梅街道は、こんなような感じなんだけどね。
ところで付近の成子坂はてっきりこの神社に由来する名前だと思ってたら、違った。
天正年間に源左衛門という人が鳴子を置いて酒などを売ってたことから、
鳴子坂だったのが成子に転じたんだとか。
成子天神社の移転はそれより後だから、地名が先なのだな。
とまれ、高層ビルの立ち並ぶあたりから参道に折れて歩いてゆくと、
ひなびた味わいのある眺めに辿り着く。


でも新宿って割とこんな場所だよね。
ビルの裏手のそこかしこに古い街並が残ってる。
さて、下が噂の富士塚。
境内左手奥にこんもりと盛り上がっております。

成子富士の名で呼ばれる小高い築山は標高12メートル。
新宿区登録史跡に指定されている。
境内の立て看には次の能書があった。
「大正9年(1920)成子天神社境内にあった天神山を改造して、
区内で最後に築造された富士塚である。
溶岩で築き、山つつじを植えており、
高さは約12メートルと比較的大規模なものである。
富士塚は、江戸時代中期より、
江戸の商人・職人・農民の間に盛んになった富士信仰の遺跡である。
同業者を中心に富士講が組織され、
社寺の境内に小富士を築いて崇拝し、管理運営を行った。
成子天神の富士塚は、
柏木・角筈地域の人々で組織した丸藤講が運営にあたっていた。
なお、塚の斜面をめぐる七福神像は、
昭和58年(1983)に新造されたものである。」
世の中には氷川神社や諏訪神社や、
総本社のほかに全国に分社を持つ信仰が数多く存在する。
富士塚はいわば富士山の分社なのだ。
富士信仰の総本山は浅間神社であるがゆえ、
ここも入口の鳥居を潜った中は浅間神社の扱いになる。

5合目付近から山頂を望む。

登山道は登るにつれ思いのほか急峻になる。
ごつごつの溶岩の岩山は幅も狭いし手すり等もないため、
油断すると結構あぶない。
8合目付近には無情の看板が置かれてる始末だ。

どでーん。
富士塚というのはなかなか本物の富士山に登れない人々のためのジオラマである。
お年寄りに登るなというのもちょいと酷な話だと思った。

麓を振り返るとこんな眺め。
12メートルというとビルの3〜4階くらいの高さになる。
あなどっちゃいかん。
そして山頂にはありがたいマリア像が。

ではなく、富士山の祭神である木花咲耶姫(コノハナサクヤヒメ)です。
日本神話に出てくるニニギノミコトの奥さんですな。
日向の国の誇る美人ってことらしいよ。

ただしこの成子富士、残念なことに普段は非公開なのだ。
新年1月1日〜7日までの間だけ「七福神めぐり」として一般に公開されている。
だもんで7日に慌てて駆け付けた次第。
なんで見せ渋ってるのかは不明だが、
神社仏閣には深い理由のない禁則事項が付きものゆえ是非もないことか。

先の能書にもあったように、
塚をめぐる七福神は1983年に付けたされたオプションだ。
富士信仰が廃れるにつれ、模造富士ってだけじゃありがたみが足りないと思ったのだろう。
なんだか安易でしょんぼりだが、
民間信仰がことさらに高尚である必要はない。
お正月に訪れる善男善女が福の神様に祈って幸せになれるのなら、
外野が文句を言う筋合いはないか。
参詣後はブックファースト新宿店に寄って必要な資料を購入し、
その足で渋谷に会議に向かった先週木曜でござったよ。
最後の一枚はだから、ブックファーストを擁する巨大ランチパック。

今日もこの後新宿っす。